イースター特集:イエスの受難と復活

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ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け
今週からイースターまで「イエスの受難と復活」について,「ヨハネの福音書」の証言に基づき紹介していきます。

  「そこで,ピラトはイエスを捕えて,むち打ちにした。また,兵士たちは,いばらで冠を編んで,イエスの頭にかぶらせ,紫色の着物を着せた。」(ヨハネ19:1−2)

   ユダの裏切りによりユダヤ人たちに捕らえられたイエスは,大祭司のもとで尋問を受けた後,ローマ帝国のユダヤ総督であるピラトのもとに連れて行かれ,「ユダヤ人の王と自称した」と告発されます。ピラトは尋問しますが,イエスに罪を認めることが出来ません。

   ユダヤ人に大声で詰め寄られたピラトは,イエスを鞭打ちにしました。ローマの鞭打ちは大変残酷なものでした。鞭打ちには,数本の革紐に金属片や尖った骨が編み込まれている鞭が用いられました。打たれる度に背中の肉が切り裂かれ,大変な苦痛が与えられました。イエスの頭には荊の冠がかぶせられ,さらに王を象徴する色,紫の着物を着せられ,嘲弄されました。

  ヨハネは序文でこう言います。
  「この方はご自分のくにに来られたのに,ご自分の民は受け入れなかった。」(ヨハネ1:11) ユダヤ人の王ではないが,「真理のあかしをするために・・・世に来た」王であるイエスは,世の無理解の中で悲痛な苦しみをお受けになり十字架に向かわれたのです。

  「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが,口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように,毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように,彼は口を開かない。」(イザヤ53:7)
( 3月13日)

十字架につけられ,死にて葬られ
彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに,ほかのふたりの者をそれぞれ両側に,イエスを真ん中にしてであった。」(ヨハネ19:18)

  裁判の末,イエスは二人の犯罪人と共に十字架につけられました。福音書は十字架刑の残虐さを説明しません。身体的苦痛の描写をあえて避けているかのようでもあります。「十字架」というだけで当時の人々はその恐ろしさを理解できたのかも知れません。フェニキヤからローマに引き継がれたと言われるこの古代の死刑の方法は,非常に残酷な刑でした。手首と足に太い釘を打たれ激しい痛みが絶えず襲います。腕が横に伸びて肩が脱臼します。その状況で呼吸の度に身体を持ち上げなければならないのです。身体を持ち上げられなくなるまで苦しみ続け,やがて力絶えて窒息するという刑であったと言われます。

  イエスはそのような十字架の辱めと苦痛の極みを味わいました。しかしその身体的苦痛はイエスの受難の一部です。イエスは不当な裁判の結果十字架刑に処せられましたが,ご自身ははじめから十字架へと向かう歩みを自覚し,しかもそれを「栄光」と見据えていました。受難と言うと受身の印象が強いですが,イエスは十字架の死を使命として負われました。十字架刑の数日前,エルサレムに入城された際このように言います。「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ,わたしはこの時に至ったのです。」(ヨハネ12:27)「わたしが地上から上げられるなら,わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」(ヨハネ12:32)

  ユダヤ人にとって木にかけられることは呪いを意味することでしたが,イエスはその呪いを身に引き受け,すべての人を呪いから解放してくださったのです。神に呪われ,捨てられることこそイエスが受けた苦しみの極みです。イエスはこの十字架によって,神の義と愛を示されたのです。

  「神は,実に,そのひとり子をお与えになったほどに,世を愛された。それは御子を信じる者が,ひとりとして滅びることなく,永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
( 3月20日)

三日目に死人のうちよりよみがえり
イエスは十字架で死なれ,墓に葬られ,三日目に死人のうちよりよみがえりました。よみがえられたイエスは人々に姿を現しました。

1.マグダラのマリヤに現れたイエス
  復活のイエスが最初に姿を現わされたのは,マグダラのマリヤに対してでした。空の墓を確認した弟子たちが帰った後,墓のところに泣きながらたたずんでいたマリヤにイエスは現れてくださいました。当時のユダヤ社会では女性は証人として認められなかったと言われます。そういう社会にあって,イエスの復活を最初に目撃したのが女性でした。福音書はその事実をありのままに証しているのです。イエスは「なぜ泣いているのですか。」と優しく声をかけられました。肉体を持ち,口から声を発し,そして目で見ることの出来る復活したイエスが,マリヤに声を掛けられたのです。マリヤは復活の主イエスに出会ったのです。

2.弟子たちに現れたイエス
  弟子たちはユダヤ人を恐れて戸を閉めて集っていました。閉め切った戸にさえぎられることなく,イエスは現れ,彼らの真ん中に立って「平安があるように」と言われました。手とわき腹を示し,確かに肉体を伴って復活されたご自身を明らかに示しました。

3.トマスに現れたイエス
  弟子の一人トマスは,イエスが来られた時,たまたまそこに居合わせませんでした。それで他の弟子たちの「主を見た」という言葉を信じられませんでした。死人がよみがえるなんてありえないと思っていました。ところがそのトマスにイエスは現れました。そして「信じない者にならないで,信じる者になりなさい。」と言われました。トマスは復活の主に出会って「私の主。私の神」と告白しています。最後にイエスは言います。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

   よみがえられた主は人々に出会われました。主は私たちにも出会ってくださるのです。「見ずに信じる者は幸いです。」
( 3月27日)

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