アドベント(降臨節)特集2004年12月

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* 11月28日から「アドベント(降臨節)特集」を掲載します。「出来るだけわかりやすいキリスト教II(十戒)」は2005年1月から再開します。

アドベントT キリストを待ち望む@
クリスマスシーズンがやってきました。街中がクリスマスカラーに染まりながら,クリスマスの日を待っています。何を食べようか。誰と過ごそうか。どんなプレゼントがもらえるか。期待に胸が膨らむ季節です。キリストの降誕を記念するクリスマスは世界中で待望されている。でもそこで待望されているのは,サンタクロースだったり,ロマンスの神様だったり,豪華な食卓だったりするのではないでしょうか。キリスト教会もクリスマスを待ち望みます。今週から教会の暦では,クリスマスの準備期間,アドベント(待降節)に入ります。キリスト者がこのアドベントに待ち望むのはキリストです。真の救いと解放,喜びを与える救い主イエス・キリストを待望するのです。

二千年前にユダヤのベツレヘムに生まれたキリストは,旧約聖書の昔から待望されてきたメシアでありました。イエス・キリストが人として到来し,十字架による救いを打ち立て,解放と真の喜びへの道を開きました。真実の光が救いの神を鮮やかに指し示しています。しかしこの世界には闇の現実が依然として横行しています。クリスマスの温かい雰囲気の中でも見落とすことのできない私たちの世界の現実です。キリストは再び到来し,その闇を終わらせることを約束してくださっています。ですからキリスト者はキリストを待望するのです。今年のクリスマスはイザヤ書に語られるメシア預言を味わいつつ,預言の言葉と共にキリストを待ち望み,希望に胸を膨らませたいと思います。

  「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(イザヤ7:14)

  このイザヤの預言はBC734年に語られたものと推定されています。国家存亡の危機にあるユダの王アハズに対して語られた言葉です。危機に瀕し主の「しるし」を求めることを拒んだ王に対し,主みずからが「しるし」を与えることが伝えられています。それは処女懐胎,男児誕生,その名が「インマヌエル」(神は私たちと共におられる)というものです。神が与えるこの男の子において「神が共におられる」ということが実現されるのです。

  この言葉はおよそ730年の時を経て,イエス・キリストの到来において成就したのです。「この方こそ,ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)
(11月 28日)

アドベントII キリストを待ち望むA
ひとりのみどりごが,私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が,私たちに与えられる。
主権はその肩にあり,
その名は「不思議な助言者,
力ある神,永遠の父,
平和の君」と呼ばれる。
その主権は増し加わり,その平和は限りなく,
ダビデの王座に着いて,その王国を治め,
さばきと正義によってこれを堅く立て,
これをささえる。今より,とこしえまで。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
(イザヤ9:6‐7)
神の民への一つのしるしは,処女によって「インマヌエル」という男の子が与えられるというものでした(イザヤ7:14)。そのしるしはより鮮やかに伝えられます。「私たち」に与えられる男の子は「不思議な助言者,力ある神,永遠の父,平和の君」と呼ばれる存在です。神にこそふさわしい呼び名が,その男の子に与えられる。ダビデ王朝の系譜にあって,さばきと正義による,永遠の平和を打ち立てる王として到来されるのです。このしるし,約束は,「万軍の主の熱心」によって成し遂げられるのです。この「平和の君」が待ち望まれました。「神が私たちと共におられる」と呼ばれる男の子は,まさに神に帰される名で呼ばれ永遠の平和を打ち立てるのです。

  神の御子,キリストの到来によって,この言葉が実現しました。罪に満ちている闇の世界に,まことの光として到来したキリストは「ご自分のくにに来られた」(ヨハネ1:11)王です。十字架によって神との和解を成り立たせ,平和を実現してくださった「平和の君」です。この平和はイスラエルだけでなく,全世界に宣べ伝えられているのです。

  「キリストこそ私たちの平和であり,…ご自分の肉において,敵意を廃棄された方です。…キリストは来られて,遠くにいたあなたがたに平和を宣べ,近くにいた人たちにも平和を宣べられました。」(エペソ2:14−17)

  待ち望まれた「平和の君」の到来を祝うクリスマス。未だ平和が希求される闇の時代にあって,再びこの地上に到来し永久の平和を打ち立てくださるキリストに確かな望みを抱きつつ,クリスマスの喜びを噛み締めたいと思います。
(12月 5日)

アドベントIII キリストを待ち望むB
エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。」(イザヤ11:1−2)

   エッサイとはダビデ王の父です。エッサイの息子であるダビデはユダのベツレヘムで羊を飼う少年でした。そのダビデが預言者サムエルに油をそそがれ,イスラエルの2代目の王となりました。紀元前1000年頃のことです。ダビデは強靭な王国を打ち立てました。神は預言者ナタンを通してダビデの家に祝福を告げられました。ダビデ契約といわれるものです。

  「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(Uサムエル7:16)

  祝福を約束されたダビデ王朝でしたが,ダビデの子ソロモン王の時代の繁栄の後には,南北に分裂し,イスラエルの神に対する不正と背信を繰り返しました。このダビデ王朝はやがて外国の侵略という方法によって滅ぼされることになります。神の怒りがイスラエルに向けられ,林の木々が切り倒されるようにダビデ王朝は断ち切られるのです。そのイスラエルの行く末を指し示すのが「エッサイの根株(切り株)」という言葉です。

  「あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」と約束された主の言葉は廃棄されてしまったのでしょうか。ダビデ王朝は切り倒されますが,「切り株」が残されるのです。神の御心に背くイスラエルの歩みに対して,神は厳しい審きをなさいます。しかし神の民に対する愛と約束が放棄されることはないのです。残されたエッサイの切り株から希望が芽生えるのです。主の霊がとどまる「若枝」こそ,神の民を贖い(11:11),慰めを与え(12:1),救いを与える(12:2),メシアを指し示しています。

  望みも断たれたかに思える切り株から,新芽が出で,若枝が実を結ぶ。キリストの到来は希望に満ち溢れた出来事であり,神の愛と約束が貫かれていることを証しする出来事なのです。
(12月12日)

アドベントIV キリストを待ち望むC
「その日,エッサイの根は,国々の民の旗として立ち,国々は彼を求め,彼のいこう所は栄光に輝く。その日,主は再び御手を伸ばし,ご自分の民の残りを買い取られる。」 (イザヤ11:10−11)

  何故,クリスマスを祝うのでしょうか。キリスト教会が毎年クリスマスを祝うのは何故でしょうか。どうしてイエス・キリストの誕生を祝うのでしょうか。それは人として到来されたキリストが,私たちの罪からの救い主だからです。罪ゆえに神との関係を断たれた人類に,神ご自身が救いの手を差し伸べてくださったのです。罪に支配された者を,キリストの十字架によって贖い,買い取り,神の支配に移して下さいました。その救いのゆえに,キリストの到来を感謝し祝うのです。
「その日,あなたは言おう。『主よ。感謝します。あなたは,私を怒られたのに,あなたの怒りは去り,私を慰めてくださいました。』 見よ。神は私の救い。…主は,私の力,私のほめ歌。私のために救いとなられた。」(イザヤ12:1−2)

  キリストが十字架で私たちの罪を担ってくださったからこそ,私たちは罪を赦され,神の慰めをいただくのです。主ご自身が私たちの救いとなってくださったのです。「インマヌエル」(神我らと共にいます)が実現されたのです。だからキリスト者は御子の到来を感謝し,喜び,その良い知らせを語り伝えるのです。

  「その日,あなたがたは言う。『主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを,国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを,全世界に知らせよ。シオンに住む者。大声をあげて,喜び歌え。イスラエルの聖なる方は,あなたの中におられる,大いなる方。』」(イザヤ12:3−6)
(12月19日)

アドベントV キリストを待ち望むD
御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は,「来てください。」と言いなさい。」(黙示録22:17)

これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ,来てください。」(黙示録22:20)

キリストの到来は旧約以来ずっと待ち望まれていたものでした。そしてイエス・キリストがお生まれになり,十字架によって救いの御業を成し遂げてくださいました。私たちの罪からの救いを得させる素晴らしい喜びの知らせがイエス・キリストによってもたらされたのです。クリスマスはこの喜びを祝います。キリストが救い主としてこの世にお生まれになったことを感謝して礼拝します。
長い間待望されてきた救い主が来られたのだから,もう待ち望まれる必要はないのではいか。2000年前にもうキリストが到来したのだから,待ち望むというより,キリストの到来を記念して喜べばよいのではないかとも思われる。しかし教会ではクリスマスまでのアドベントの期間,クランツに火を灯しながら待ち望んできました。それは単にクリスマスまでの助走期間ではなく,キリスト者としての信仰を見つめなおす期間でもあるのです。キリストの到来を待ち望むという生き方を見つめなおすのです。十字架で死なれ,復活されたイエス・キリストは天に昇られる時,再びこの世に来られることを約束してくださいました。キリストが再び来られる時,救いは完成されるのです。それゆえキリストを待ち望むことがキリスト者の生き方の基本にあるのです。キリストにお会いすることを楽しみに,いつも待ち望むことができる。望みに生きるのがキリスト者なのです。

  クリスマスが終わると次は新年。街は正月の飾りに模様替えされます。クリスマスもアドベントも去年のことにされてしまう。でも,キリストによる救いが確かにもたらされていること,キリストが再び来られること,そのキリストを待ち望む私たちであることは変わらないのです。私たちと共にいてくださる御霊に助けられながら,キリストの来臨を望みつつ待つものでありたいと願います。

  「どうか,望みの神が,あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし,聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」(ローマ15:13)
(12月26日)

* アドベント特集は今回で終了です。1月 9日から「十戒」(出来るだけわかりやすいキリスト教II)を再開します。
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