出来るだけわかり易いキリスト教II2004年11月

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2 第1の戒め(1)
わたしは,あなたをエジプトの国,奴隷の家から連れ出した,あなたの神,主である。あなたには,わたしのほかに,ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記20章2節,3節)

  「わたしは,…あなたの神,主である。」との神の自己紹介は,十戒の序文であると言われます。十戒の全体はこの主である神によって与えられるのです。主は,エジプトの国,奴隷の家から神の民を解放した神であられます。出エジプトはイスラエルの民にとって忘れがたい重大な歴史的事件でした。主による解放が神の民に鮮やかに記憶されていました。

  出エジプトは主によって次のように意志されてなされた救いのみ業です。
  「わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし,わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは,わたしがあなたがたの神,主であり,あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者であることを知るようになる。」(出エジプト6:7)神はイスラエルを奴隷の家から連れ出し,解放を与え,神となられました。救いの神である主が,その民に明らかに示されました。

  しかしそれはイスラエルの出来事に限定される事件ではありません。むしろ全人類に関わる救いを表します。出エジプトの出来事は神による救いの型であります。エジプトの奴隷の家からの解放は,イエス・キリストによる罪の奴隷からの解放の予型として理解されるのです。戒めへの服従を命じる神は解放者であり,「あなたの神,主である」とご自身を啓示なさるお方です。そのお方を神とする「私」への戒めであることが序文で確認されます。まず救い(福音)が先行して,戒め(律法)がこれに続くのです。

  この序文は十戒の全体にかかります。この全体は内容的には二つの部分から成っています。神に対する振る舞い(第4戒まで)と,隣人に対する義務(第5戒以降)という二つの内容です。キリストは律法を「あなたの神である主を愛せよ。」「隣人をあなた自身のように愛せよ」と要約して,この二つの戒めのうちに律法全体と預言者とが掛かっていると教えました(マタイ22:37-40)。二枚の板に記された十戒(出エジ31:18)がどのように分けて記されていたかはわかりませんが,内容的には以上のように,「神を愛すること」と,「隣人を愛すること」という二つに区分できる戒めが語られているのです。
(11月 7日)

3 第1の戒め(2)
わたしは,あなたをエジプトの国,奴隷の家から連れ出した,あなたの神,主である。あなたには,わたしのほかに,ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記20章2節,3節)

  前回は「神を愛すること」と「隣人を愛すること」に要約される十戒の構造を確認し,「あなたの神,主である」とご自身を紹介される救いの神が,ご自身の愛される民に対してこの戒めを与えてくださったことを確認しました。恵みによる救いを与えた神は「あなたの神,主」として私たちにご自身をお示しになっているのです。

  その主である神は,第1戒で「わたしのほかに,ほかの神々があってはならない」と語ります。神は唯一です。しかしこの戒めは神の唯一性を情報として伝えるにとどまりません。まことの唯一の神のみを神として生きるように教えているのです。罪の奴隷から救い出してくださる主のみが,崇められるべきまことの神であることを私たちに教え,その他の何者かに信頼したり,期待したり,すがったりするようなことがあってはならないと教えているのです。

  その具体的展開についてはハイデルベルク信仰問答が行き届いた解説をしています。1 「問94:第1戒で,主は何を求めておられますか。答:わたしが自分の魂の救いと祝福とを失わないために,あらゆる偶像礼拝,魔術,迷信的な教え,諸聖人や他の被造物への呼びかけを避けて逃れるべきこと。唯一のまことの神を正しく知り,この方にのみ信頼し,謙遜と忍耐の限りを尽して,この方にのみすべてのよきものを期待し,真心からこの方を愛し,畏れ敬うことです。すなわち,わたしが,ほんのわずかでも神の御旨に反して何かをするくらいならば,むしろすべての被造物の方を放棄する,ということです。」

  第1戒の「〜あってはならない」という禁止条項によって,偽りの神々に帰依するようなことが無自覚にもないように,「避けて逃れる」ほどに細心の注意を払うべきことを教えられます。しかしそれと共に「まことの神を正しく知り,この方にのみ信頼し…」崇めるという積極面をも同時に教えられるのです。救いの神となってくださった主は,私たちの真実な応答を求めているのです。

  「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4‐5)

1『ハイデルベルク信仰問答』吉田隆訳(新教出版社,1997.)90.

(11月14日)

4 第2の戒め
あなたは,自分のために,偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも,下の地にあるものでも,地の下の水の中にあるものでも,どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神,主であるわたしは,ねたむ神,わたしを憎む者には,父の咎を子に報い,三代,四代にまで及ぼし,わたしを愛し,わたしの命令を守る者には,恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト記20:4‐6)

    第2戒は偶像礼拝の禁止を求めています。第1戒の「わたしのほかに,ほかの神々があってはならない」という規定と別ち難く結び合っています。しかし第2戒は第1戒に組み込まれてしうことのない戒めです。「あなたは,自分のために,偶像を造ってはならない」という戒めを神の民は真剣に受け止めなければならないのです。なぜならば,私たちは容易に自分たちに都合のよい神を造り出してしまう傾向をもっているからです。

  モーセがシナイ山で神から十戒を授けられている間,イスラエルの民は山の麓で待ちきれなくなってアロンにこう言いました。「さあ,私たちに先立って行く神を,造って下さい。」(出エジ32:1)。そして人々は自分たちの金を集めて,それで鋳物の子牛を造って,「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」(出エジ32:4)と言って,金の子牛を拝んだのです。エジプトから救い出し「私たちの神」となってくださった神を,金の子牛に代えて拝んだのです。目に見える何らかの形を造り上げ,それを所有して安心し,信頼を置こうとするのです。しかし神はそれを忌み嫌われるのです。

  天地万物の創造者である主なる神は,いかなる被造物によっても表現されることのないお方です。「造って下さい」という人の要請で表現されるようなお方ではありません。人間本位の仕方で礼拝されるような神ではないのです。かといって抽象的で普遍的な漠然とした存在でもありません。具体的にイスラエルの歴史に働き,ご自身を啓示された神です。罪の奴隷から救い出し愛を示すお方です。その神の具体性はイエス・キリストの受肉において私たちにも鮮明にされました。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が,神を説き明かされたのである。」(ヨハネ1:18)。イエス・キリストにおいてのみ人は神を見(ヨハネ14:9),真の礼拝をささげることができるのです。

  偶像礼拝の禁止は同時に神の命じられた通りの礼拝を求めます。主イエスはこのように語ります。「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから,神を礼拝する者は,霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:23‐24)神は偶像による礼拝ではなく,イエス・キリストによってもたらされる「霊とまことによる礼拝」を求めておられるのです。
(11月21日)

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